昭和五十七年四月二十三日 朝の御理解
御理解第四十三節
死んだからというて、神のおかげを受けずにはおられまいが。死に際にもお願いせよ。
日々こうした御理解が私の信心の反映とでも申しましょうか、私の信心の内容が微妙にその働きを表すというか、頂くことになります。
今日はこの死に際にもお願いせよということ、なのですが、実は昨日、佐賀支部の春の御大祭で、私が祭主をいたしますので、あちらへ丁度時間、一時間くらい前に到着しましたが、あちらへ車が着きましたのと同時にあちらのご主人がお届けがございますとこういう。ですからも、車から降りた途端でしたが、なんでしょうかといったら、母が只今ほんの只今、お国替えのおかげを頂きました。
九十才、数えの九十才と、そうですか。そんならその事はちょっとお祭りが済むまで伏せて、伏せるわけじゃないですけれども、ふせてそして、お祭りは当たり前に仕えますから、それからの事はお祭りが済んでからの事に、お取次させてもらいましょうと云うて、まあそんなわけでございました。
考えてみれば考えてみるほど、お礼を申し上げなければならない。有り難い事なのですけれども、やはり、お祭りという、そのま、ま、いうならば、晴れがましいお祭り事とやっぱり死ぬるということは、いくらもお年を取っておられてもなんとはなしに、やっぱり肉親としては悲しいことであり、又一緒にお祭りを参拝させて頂いとる者も、何かそこにこう、まあ、おめでとうございますといえないような感じが致します。
で神様にその事をお取り次ぎさせて頂きましたら、大きなもうそれこそ大きな茶つぼを頂いたんですけど、どういうことだろかと思わせて頂いたら、あの、長唄ですかね、舞踊劇です、に茶壷というのがあるんです。もう普通は皆さんもご承知でしょうけれども、ならまあいうなら、三味線、太鼓とのリズムがあって、そのリズムに乗って踊るのが普通の踊りなんですね。
ところがこの茶壷というのは、そうではないんですね、調子を一つずつ一つずつ狂わせるというか、調子を一桁ずつ落としていくわけです。チンというときにはトン、トンというときにはチン、という風にそのチンとトンとが、一つずつこう落としながら舞うのですから、非常にまあ、難しい舞といわれていますね。
ははぁ、今日の例えば、お祭りとまあ、そのお母さんの死というのは、そういうようなものだけれども、これは、大変難しいけれども、よくよく分かれば分かるほど、それこそお互いが死ぬるならばね、うららかな春の日に、しかもしかも桜の花の元で、桜吹雪を受けながら死にたい。これは誰かの歌にそんな歌がございましたが、もう本当に、そういう支部の大祭という晴れがましい、ま、梅の花の下で死ぬるような、皆が喜びいっぱいで、しかもお食事をされながら、脳溢血だったそうですからね。お食事をされながら、のどの詰まってとこういうふうに思うておられたそうですけれども、実際は、お食事中に脳溢血をおこされて、そしてもう、そのまま亡くなられた。
お孫さんに抱かれながらと。しかも九十という、ま、長生きのおかげを頂いて、ですから何かこう、一桁ずつこう、ち、いうか、リズムが一つ狂ったようであるけれども、その狂ったところ、くるっておるところに、何ともいえん、ま、味わいがある。というわけでございます。
丁度茶壷の舞踊劇のようなものだと、神様は私に教えて下さったんですけれども、おかげを頂きましてお祭りは、だからあのう、大変有り難いという感じで仕えましたが、お祭りが終わって、御直会ともなって、何かそこに、こう、なんていうねすかね、ま、いうならおめでとう云われんなりの、御直会と云ったような感じですから、したら、あちら御夫婦でみえましてから、今日親戚、皆お祭りで、ご兄弟達、お兄さんがおられる、お兄さんや弟さん達が皆、見えておられまして、そのここでは金光様の御信心をこう、手篤うしとるし、母も金光様に帰依しておったんだからね、あのう、告別式は金光様の御流儀でま、改式したらどうだろうかと云う話になりましたから、ということでございました。成る程ね、なかなか改式はできないのが、実状なんですけど、皆さんのお家でもそうですがね。ところがそういう、佐賀支部の春の御大祭。そしてそのお母さんのお国替え、そしあの、改式と云うところまで、こうずっと思うて見ると、本当に、こう何か、こう、私がついた途端に、只今お国替えといったこう、何か一つ、合楽的にはないようであるけれども、素晴らしい。
云うならば合楽的、云うならば合楽的に茶壷のその舞踊劇を見るような感じのお祭りであり、又昨日は、私共が帰ったあと、光昭達が四、五人先生達が残りましてから、夕べがへん霊になっておるはずでございます。まだ、私も報告をうけてないですけれども、そんなわけで二十四日に告別式が此処でなさるということでございますがね、本当に、この私がお祭りが済んで、皆さんに聞いて頂いたお話が、丁度お神様の右側に大きく額に私の書いた、”薫”という字が学に入れて掛けてございましたね。”薫”というのは、草冠に重い、重んじると書いて点、、、は心ですよね。
自然を重んじる心と書いて、自然を重んじる心と云うことは、私は昨日ね、自然を重んじる心とは、自然のその働きを有り難く受けると云うことなんだとこう、皆さんに聞いてもらったんですけれども、お話をしたあとに果たしてその自然に起きておる事柄を有り難く受けられたであろうかね、自然を重んじるということは、自然を有り難く受けるということなんだと。
そこに薫るような次のおかげが約束されるのだと、もうそれは、私も充分体験から知ってもおるし、分かってもおるけれども、まあお話には皆に成り行きそのものを有り難く受けると云うことが重んじる事なんだというふうに云うたけれども、重んじてはおったけれども、有り難くは頂けなかったように思うんですね。
けども、私は合楽の信心の場合はどんな場合であってもその事をね、重くみるということ。ということは神様の一分一厘間違いのない働きの中に起きておる事柄として頂くということ。有り難くは頂けなくても、それを重んじるということ。それを重んずるところからね、例えばなら、他のご兄弟達は別に信心がないのですから、あんたどんが信心、信心ち云うばってんあんた、とこういうふうに云われても仕方がないところを、ご兄弟達も皆がね、此処はこうして熱心に金光様の信心をするのだから、母もその方が喜ぶだろうから、金光様の御信心で送って頂こうというような話がまとまるということは、その事柄を重んじられた私は頂き方であったと思うんです。
重んじる頂き方。いわゆる草冠に重んじる心。そこに次の薫るようなおかげともなる。同時に分かれば分かるほどなら、お礼を申し上げなければならないこと。九十というともお婆さんのそのころは、いいことじゃったけれども、もうみんなに迷惑をかけないように、みんなに迷惑をかけないように亡くなりたいというのが、口癖のように云っておられたそうですが、もう本当に、お食事をさせていただきながら、しかも孫の抱かれながらお国替えであったという。
まあ考えてみりゃ、九十という年まで生き延びられた。しかも健康でおありになったという事だけでもお礼を申し上げなければならない。それこそまあ、お祭りとそれが一緒になった。ガッチャになったというと、何かこうちょっと一桁違う、何か間違ったようにあるけれども、間違ってるのではない、何ともいえん、それこそ茶壷の舞踊劇じゃないけれども、一桁ずつこう違っていくところに、なんともいえリズムを感じ、又そういう演技力というかね、舞踊で云うならば演技力が表せれれるようになると云うことが、私はいよいよ信心が本当に分かっていくことだというふうに思うんですね。
とにかく右と云えば左、左と願えば右といったような場合であっても、私同じリズムを感じれれるようになったらそれ又大変に素晴らしい事だと思うんですね。そこには深い深い御神意のあってのことですからね、右と願えば右、左と願えば左と願いとおりに成就していく、いや願い以上におかげ頂いていくというふうにもうしますけれどもね、そういう云うならば互い違いになっていくそのなり具合というものがです、私は何ともいえん。
そこにその茶壷の舞踊劇に見るような調子が自分の心の中にも頂けてくるようになったら、信心もいよいよ有り難いもの、尊いものとしていくことになるのじゃないのでしょうか。どうぞ一つ成り行きを大事にするとかもうしますけれども、その成り行きそのものを尊ぶということということは、実を云うたら、成り行きそのものを有り難く合掌して受けると云うこと、なかなか有り難く合掌しては受けられないにしても、尊ぶ頂き方ね。
例えば、なら空閑さんのお宅で皆、親戚が話し合われてね、此処では、金光様の御信心をさせて頂くのだからね、仏教と云わずに金光様の御信心の御流儀で母を送っていただこうと、これは私はお母さんの死をお子さん達が重んじられた姿であるというふうに思います。
そこには云うなら、薫るような次のおかげが約束される事を私は信じますけれどもね、なかなかもってなら、尊んでそして頂くということは出来ても、有り難くということはなかなか難しい。
いやよくこうやって考えてみると、はあ、あれもおかげ、これもおかげと分かるとお礼を申し上げねばならない事ばっかりなのですけれどもね、私共のまあ、ま、感情というかね、情感としてはそれがなかなか有り難くとは、頂けてなくても尊んで頂けれる信心だけは頂きたいですね。 どうぞ